札幌護國神社 札幌市中央区  護国神社

護国神社は、戦没者や自衛官・警察官・消防士等の公務殉職者の霊を祀る神社です。
回廊に囲まれた社殿の前は、荘厳な雰囲気がただよっており、他の神社と雰囲気が違います。
境内社の多賀神社は、恋愛パワースポットとして「有名」です。
 

祭神

 
【本殿】
北海道開拓祭神
各戦役戦没祭神
公共殉職祭神
其他特殊祭神
 
【多賀殿】
伊邪那岐大神
伊邪那美大神
天照大御神(旧・山鼻神社祭神)
大山祗大神(旧・山鼻神社祭神)
天満宮大神(旧・山鼻神社祭神)
耳早立雄大神(旧・山鼻神社祭神)
 

由緒

 
1879年(明治12年)     西南の役に戦病没した屯田兵を慰霊するため、現在の札幌市北区に札幌忠魂社として創建される。
1911年(明治44年) 2月   中島公園に移転する。
1922年(大正11年) 7月 1日 札幌招魂社と改称する。
1933年(昭和 8年)11月17日 現在地に社殿造営、遷座祭が斎行される。
1939年(昭和14年) 4月 1日 札幌護國神社と改称し、内務大臣指定護国神社となる。
1946年(昭和21年)12月12日 札幌彰徳神社と改称する。
1949年(昭和24年) 9月   滋賀県の多賀大社より祭神を勧請し、多賀殿が建立する。
1959年(昭和34年) 7月 1日 札幌護國神社に復称する。
1968年(昭和43年)10月10日 火災により社殿が焼失する。
1970年(昭和45年) 8月 2日 社殿再建、遷座祭が斎行される。
1971年(昭和46年) 9月   山鼻神社の祭神を多賀殿に合祀する。
1972年(昭和47年) 2月 3日 昭和天皇・皇后両陛下が御親拝される。
1979年(昭和54年)     西南の役後100年を記念し100年祭が執行され、遺品殿の新設並びに境内の整備等が行われる。
1985年(昭和60年) 6月 7日 三笠宮両殿下が御参拝され、境内を「彰徳苑」と命名される。
 

境内

 
境内 社号標と鳥居。

境内 手水舎。
彰徳苑側にある。

境内 神門。
ぐるりと回廊が巡らされており、中は荘厳な空間が広がる。

境内 社殿(本殿)。
火災で焼失した後、1970年(昭和45年)に再建。

境内 社殿の屋根の先端に桜の紋様がある。

境内 狛犬 吽形。

境内 狛犬 阿形。

 

多賀神社(多賀殿)

 
1949年(昭和24年)に建てられた多賀神社は、縁結び・復縁・恋愛成就にご利益あり。
札幌護國神社の社務所で、多賀神社の御朱印も頂けます

境内 多賀神社の鳥居。
札幌護國神社の境内社だが、多賀神社としての鳥居が建っており、独立した神社の様に見える。

境内 多賀神社の社殿。
1971年(昭和46年)に合祀された山鼻神社の祭神も祀られている。

境内 多賀神社社殿前の絵馬。
恋愛成就のハート型絵馬が多い。

 
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彰徳苑

 
境内の彰徳苑には、戦没者慰霊碑を中心に数多くの石碑が並んでいる。

石碑 彰徳苑入口の彰徳苑の碑。
1986年(昭和61年)8月15日建立。

石碑 彰徳苑の慰霊碑案内板。

石碑 誌(第十三期海軍飛行予備学生)。
1993年(平成5年)5月13日建立。
碑文には「雲流るゝ涯に散った亡き戦友を偲んでこゝに櫻を植樹する 入隊五十周年を記念して」と刻まれている。

石碑 北鎮砲兵発祥の地記念碑。
1985年(昭和60年)6月建立
1896年(明治29年)12月に札幌で結成(後に旭川へ移転)された独立野戦砲大隊を記念する碑。

石碑 鎮魂碑。
1945年(昭和20年)8月、旧ソ連が日ソ不可侵条約の一方的な破棄により樺太(現サハリン)へ侵攻。
樺太太平炭鉱病院の看護婦も避難を始めたが、途中でソ連軍に退路を断たれ集団自決を図った。
鎮魂碑は、この事件の殉職者への鎮魂と平和祈願のため建立された。

石碑 歩兵第二十六聨隊軍旗奉焼之碑。
1986年(昭和61年)9月14日建立
終戦後の1945年(昭和20年)9月に、聨隊の解散に伴い、連隊の創立地に近い月寒神社境内にて軍旗を奉焼した記念碑。

石碑 札幌招魂社の社号標。
札幌護國神社は、1922年(大正11年)に札幌忠魂社から札幌招魂社へ改称している。
1939年(昭和14年)に札幌護國神社へ改称するまで使用された社号標と思われる。

石碑 頌徳碑。
1925年(大正14年)旭ヶ丘に建立、1960年(昭和35年)現在地に移設。
財団法人帝国在郷軍人会の創立者である松本謄四郎を顕彰し建てられた。

石碑 尼港殉難碑。
1928年(昭和3年)10月建立。
1920年(大正9年)に起きた尼港事件の犠牲者のための碑。

石碑 アッツ島玉砕雄魂之碑。
1968年(昭和43年)7月29日建立
1943年(昭和18年)5月に玉砕したアッツ島守備隊の犠牲者のための碑。
碑石は神居古潭石、台座は日高角閃岩。

石碑 アッツ島の石。
1989年(平成元年)5月建立。
アッツ島玉砕雄魂之碑の前に置かれている。
贈主は、アッツ島の戦闘に参加した米国退役大佐ジェームズ・D・ブッシュ氏。
ブッシュ氏がアッツを再訪した際に採取した石を、当時を偲び平和を願う深い意味を持つ記念品として、米国退役準将ダリー氏の協力と日本航空の好意により送られてきた。

石碑 ノモンハン英魂之碑。
1967年(昭和42年)9月16日建立。
ノモンハン事件の犠牲者のための碑。
屯田兵を母体として編成された帝国陸軍第七師団の将兵も、ノモンハン事件で千五百余名が散華した。

石碑 屯田兵招魂碑。
1878年(明治11年)2月、偕楽園(現在の偕楽園緑地)に建立。
西南戦争で没した屯田兵のために建てられた。
1911年(明治44年)に日露戦争に従軍した札幌連隊の戦没者を合祀し当時の中島遊園地に移設。
1933年(昭和8年)に現在地へ移設。
この石碑は、札幌市内に現存する最古の碑らしい。


石碑 忠魂碑。
1907年(明治40年)建立。
日露戦争の戦没者のために建てられた忠魂碑が、札幌護國神社にも建っている。
題字の揮毫は乃木希典将軍。

石碑 山鼻神社碑。
1971年(昭和46年)に合祀した山鼻神社の碑。
手前の石碑は1971年(昭和46年)9月5日の建立、後ろの小さな石碑は1876年(明治9年)建立され合祀の際に移設。

石碑 メレヨン島戦没者慰霊碑。
1971年(昭和46年)建立。
ウォレアイ環礁(日本軍の呼称はメレヨン島)での犠牲者のための碑。
メレヨン島では補給が途絶え、日本軍守備隊は飢餓により事実上全滅した。
全国メレヨン会員一同によって、札幌以外にも福山市(備後護国神社)に慰霊碑が建つ。

石碑 北千島慰霊之碑。
1975年(昭和50年)8月23日建立。
北千島での犠牲者のための碑。

石碑 南方地域戦死者慰霊碑。
2009年(平成21年)10月31日建立。
ニューギニア方面での戦死者の鎮魂と恒久平和を込めて建てられた。

石碑 北海道全海軍 英魂之碑。
1978年(昭和53年)8月20日建立。
北海道・千島・樺太にゆかりのあるすべての海軍関係者のための碑。
石碑に置かれている錨は、かつて重巡洋艦で使われていた実物。

石碑 沖縄戦戦没者慰霊碑。
1965年(昭和40年)9月27日札幌藻岩山麓に建立、2011年(平成23年)6月23日現在地に移設。
多数の住民も犠牲となった沖縄戦。
将兵の戦没者では、北海道出身将兵が最も多かった。
北海道沖縄会が、世界の恒久平和実現の願いを込め、沖縄戦英霊紀念の碑を札幌藻岩山麓に建立した。
その後、慰霊碑はこの地にに移転・新築された
慰霊碑の周囲には、54枚の御影石に沖縄戦戦没者の名前が刻まれている。

 
石碑 旭川第七連隊砲兵哨舎。
1985年(昭和60年6月)現在地に移設。
自衛隊が旭川から運んできたとの事。

 

彰徳苑外の石碑

 
その他 天皇皇后両陛下御参拝記念碑。
1973年(昭和48年)6月26日建立。
1972年に開催された札幌オリンピックの際に、天皇皇后両陛下が当神社に御参拝を賜った記念として建立された。

その他 寝牛岩。
1968年(昭和43年)7月奉納
アイヌ時代から寝牛岩と呼ばれていた。
アッツ島玉砕雄魂の建立記念として奉納。

 

参拝ガイド

 
【所在地】
 札幌市中央区南15条西5丁目1番地
 
【交通機関】
 札幌市営地下鉄
  南北線 幌平橋駅 下車 徒歩約5分
 札幌市電
  行啓通停留所 下車 徒歩約5分
 
【車】
 駐車場あり。
 あまり広くないので、満車時は周囲の有料駐車場をご利用下さい。
 
※時刻等は各交通機関のホームページでご確認下さい※
 
 
 
 
 
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参考ホームページ

 
札幌護國神社 公式HP
北海道神社庁 札幌護國神社
ウィキペディア 札幌護国神社
 

札幌護國神社周辺

 
札幌護國神社は中島公園に隣接している。
中島公園は札幌市民の憩いの場として親しまれており、札幌コンサートホールKitaraや北海道立文学館等の文化施設も置かれている。
 
その他 中島公園の菖蒲池。
四季折々の風景が池に映える(SNSにも映える)。


 
 
 
 
 
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参考:札幌護國神社 公式ホームページ
   北海道神社庁ホームページ
   フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)
   神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト 全国の指定護国神社
   さっぽろ文庫 39 札幌の寺社
 
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